日向小次郎・自伝「猛虎」より
小3の冬
父ちゃんに買ってもらったばかりの、真新しいサッカーボールを弟たちと河原で蹴って遊んでいたら、見るからに怪しいオヤジが寄って来た。
目が血走ってるし、息は酒臭くて、弟たちは俺の後ろに隠した。その胡散臭いオヤジは千鳥足で言った。
「おぬし・・イイ眼を持っているのう」
「どうだ、ワシのところに嫁に来ないか」
・・・・・・沈黙・・・・・・
「もとい、ワシのところで本格的にサッカーをやってみんか」
どう考え直してみても言い間違えるようなセリフでは無いのだが、オレも無邪気な子供なので流す事にした。
「お兄ちゃん、すかうとだよ、スッゲー!!」などと尊がおだてるので、このヘンテコなオヤジのクラブに入る事になってしまった。
こうしてオレ様のモテモテ人生が始まった(ちっとも嬉しくない)。
小3の冬・2
クラブに入ってみたら、3年生の入会は前例が無いとかで、5,6年の奴らに因縁をつけられた。
確かにオレはシロートだし、オカシイよなと素直に出て行こうとしたところ、例のオヤジ(吉良監督という名だった)がオレの足にとりすがってきた。
カントクの妙な引き止め方のお蔭でそれ以上何か言って来る奴は居なかったが、仲間も出来ない。
畜生、みんな見返してやる。
オレ様の「どんな事をしても負けないサッカー」はこうして生まれた。
小5の春
さっき、夕刊配達のついでにドングリ眼の、頭の悪そうなチビを勧誘した。
聞くとまだ3年だと言うし、従順そうで、パシリに使えそうな奴だ。
この間勧誘したドングリ君が入会してきた。
名前はタケシだった。舎弟ぽい善い名前だ。
案の定、無能な6年の奴等がオレの時みたいにウザイことを言いだしたので、ここぞとばかりにやり込めてやった。
ざまあみろ。すっとした。ドングリを勧誘した甲斐が有ったというものだ。
練習の最後にタケシが舎弟らしく駆け寄って来た。
フッ、可愛い奴め・・と思ったのもつかのま、突然告られた。
メチャメチャ驚いた。
ドングリが一目惚れナンデス・・とか抜かしやがるので、焦ってカントクに相談したら、その方がコンビプレーも上達し易くて却ってイイ、などと言う。
オレの方が何とも思って無くてもイイモンなんだろうか、と疑問に感じつつも結局その案を受け入れることにした。
その後もタケシは金魚のフンみたいにオレの後を付け回し、他の奴等にはサン付けもしやがらない。
意外と強情な性格だという事もすぐに知れた。
サッカーの上達が早くてオレには従順な(惚れてんだから当然だ)トコロが救いだが、どうもマズイ奴を勧誘しちまったらしい。
ついでにオレに対するチームメイトの反感も増加した気がする。
こうしてオレ様は茨のカリスマストライカー道を歩み始めた。
小5の夏
今日、チームメイトの若島津に告られた。
もの凄くビックリした。
二の句が告げられずにいると、奴はオレの反応などお構い無しに語りに入った。
「オレ、気付くとアンタの事、考えてんだ・・・」
見ると、眼がマジにイッちゃってて、益々話を遮れなくなった。
「アンタはオレにとって特別なんだって、アンタに知って欲しかっただけなんだ」
そう言うと、奴は長い前髪の隙間から覗く眼を光らせて(マジ怖かった)、奇声を上げながら行ってしまった。
多分これから道場に行くんで道々空手の形でも復習してるんだろう。あの調子で返事を迫られなかったのが不幸中の幸いだった。
夕飯の後、弟達と風呂に行くまで、若島津の件はすっかり忘れていた。
髪の長い姉ちゃんとすれ違って思い出してしまったのだ。
思い出してしまったものは仕方なく、オレは湯船に浸かってボンヤリ考えた。
オレだって若島津の事は一番の仲間だと思ってきたんだ。キライどころかスキだ。
しかし・・。
もし、オレもスキだ、なんてうっかり言ったら俺の人生はどうなるんだろう。
奴の言った事を反芻してみた。・・オレは、気付くと・・・サッカーの事を考えてる、な。
成る程、なんとなく「特別」っていうのは解った気がした。でもなあ。
熱い湯船の中で思わず身震いしたら隣の爺さんが奇妙な顔をした。なんとなくバツが悪くて湯船を出ようとしたら爺さんに
「坊主、湯船ん中でしょんべんしたらイカンぞ」と言われた。
オレ様が、家族みんなが安心して暮らせる家を建てたいと思い始めたのはこの頃からだったな。
小6の夏
南葛市にトンデモキーパーがいるから一発かまして来い、と吉良のオッサンに言われてオレ様は静岡くんだりまで遠征してやることになった。
一時期、金に少々不自由しているオレ様がどうやって静岡まで行ったか、という事がお茶の間の話題を独占したようだが、なに、吉良のオッサンが電車代を寄越したのだ。
ちゃんと「熱闘スペシャル114P」に書いてあるから、良い子の皆は紙面の大部分を占める「ぼくは岬太郎」のビンボ父子の語りなどに気を取られずに、右の柱を読むように!
で、南葛市だ。選抜チームとは小学生のクセに洒落た真似をしやがる。思い切り悪印象を先入観に叩き込んでオレは練習場に殴り込んでやった。
結局、若林源三というキーパーはJAROに通報出来るほどの見掛け倒しだった。
体もなにやらデカイし、なにしろ態度がデカくて、「ひょっとして・・」などと一瞬でも思ったオレのアマちゃん振りが恥ずかしくなるほどあっさりと、オレにゴールを奪わせた。
むしろ、昔ウチにいた岬に再会したことの方が驚きだった。
とりあえず岬にタンカを切って埼玉に帰った。アイツは腹黒だから長話はしないに限る。
そしたらやっぱり岬がオレ様に隠し事をして居やがった事が大会で判明して、監督になじられるわ、挙句にケツを撫でられるわ、散々だった。それでムシャクシャして食堂で松山をぶっ飛ばしたら・・ああ、これはまた別のオハナシだ。
母ちゃんに静岡茶を土産に買ったら売り場のオバちゃんが頼んでもいないのにサービスで更に二袋つけてくれた。どうせならタダにしてくれ、と言いたかった。
家に帰ると母ちゃんが、静岡から電話だという。掛けてきた相手よりも、止められてる筈のウチの電話が復活している事の方に気を取られつつ(そして母ちゃんがその事に全く疑問を持っていない事に感心しつつ)、
電話に出ると果たしてそれはさっきオレ様がコテンパンにのしてやった若林だった。
そして唐突に告られた。
どうやらゴールポストから飛び降りたオレ様のフトモモにノックアウトされてシュートを止められなかったらしい。
オレのせいかよ?!
・・どうしてこんなに変態ばかりなのか、まだそんな疑問を抱くにはオレも若かったので、取り敢えずタンカを切って電話も切った。
そーいやなんでウチの電話番号知ってんだよ、アイツ・・・。
底知れぬ恐怖を微かにでも予感するにはまだオレも幼かったので、一瞬「?」と思っただけで忘れてしまった。借金取立ての電話が来るとマズイので、電話線を抜いたから二度と奴からは掛かってこなかった。
小6の夏・2 全国大会
例のトンデモキーパーは補欠になっていた。というか、居なかった。笑止。
代わりにツバサとかいう、ヘンテコな理屈で周囲を丸め込む岬よりも恐ろしい奴に出会うことになるが、これも別のオハナシだ。
南葛のGKは森崎という、見るからに弱そうなモヤシで、あれなら確かに見かけだけでも若林の方がマシってもんだ。
森崎には挨拶代わりに顔面にボールを力一杯蹴り込んでやった。もちろんシュートに対する恐怖心を植えつける為の、オレ様のナイス心理攻撃だ。
当然それは功を奏し、奴はザルキーパーというよりネットの張ってないワクキーパーに。居ても居なくても同じだった。ふふん。
この時が恐らく、オレ様のヒール人生最高の見せ場だったな。自分で思い出してもゾクゾクするほどだ。・・・なのに、森崎の奴は・・いや、これも別のオハナシだ。
結局若林の奴は決勝戦に勿体つけて再登場してきやがって、その上えらくパワーアップしていやがった。
アイツは金持ちの子供らしいからT県の無免許医に頼んで全身改造手術でもしやがったに違いない。小学生大会じゃ薬物検査も無いからな、どーぴんぐだってしてるに決まってる。
オレがあの日、つれなく電話を切っちまったのがこんな結果を招くとは。小学生だがオトナ気無いぜ、若林・・!オレは密かにホゾを噛んだ。
結局世の中、カネ、カネ、カネ、かよ!畜生、負けねえぞ!!
自分が原因で若林がスーパーレベルアップしてしまったナドと監督やチームメイトに明かす訳にも行かず、オレは孤軍奮闘した。ものすごく頑張った。
途中、最近露骨にオレにアピールしてくるので距離を置いて接していたタケシに便乗下克上されたりしながらも一所懸命頑張った。
だが再延長の末、・・負けた・・。
昭和枯れススキが頭の中でグルグル流れ続けた。
オレ様はこうして東邦学園のスカウトに応じたのだ。
小6の夏
全国大会予選第一試合。
岬率いる南葛FCを順当に下し絶好調なオレ様の前に、かなりおかしなファッションセンスのオバハンが現れた。
無意味につばの広い帽子を被ったそのオバハンは、東邦学園のスカウトだと名乗った。
東邦学園と言えばかの有名なサッカー名門校。そこにこのオレを特待生としてスカウトすると言うのだ。
オレの名が全国津々浦々に轟いてこだましている事実は当然の事として謙虚に受け止めたのだが、なんと先程オレが叩きのめしてやった南葛の寝癖野郎にも声を掛けていると言うではないか。
俄然納得が行かなかった。即、断ってやろうと思った。
しかも、特待生の待遇はなんと、学費・生活費の免除だ。いわゆる人身売買と言う奴だ。俗に札束ビンタとも言う。
貧乏なオレの足元を見た条件だった・・この歳でもう身体を売らなくちゃならんのか・・・。母ちゃん・・・。
もしオレが居なくなって、勝が怖い夢を見て夜中に起きたらどうするんだ。直子が近所のクソガキにいじめられたらどうするんだ。
東邦に行ったらオレは寮に入らなきゃならねえんだぞ。バイトも出来ねえ。
やっぱり断ろうと思った。弟妹達はまだまだ幼いのだ。
だがしかし、オレは揺れた。
吉良監督は中学に上がってしまえば縁も切れるが、問題はチームメイトだ。
明和FCメンバーの8割は同じ中学へ進む事になる(私立受験できるオツムを持った奴なんていないハズだからな)。
最近とみに身体に迫る危機を感じていたオレにとってこのスカウトは実に渡りに舟、地獄に仏だった。
実際、デカ帽のオバハンも(翼にも声を掛けていなければ)菩薩に見えてくると言うものだ。
万全を期して、オレはこの件は心の中にしまっておく事にした。
オレが明和東中に進まない、などと知れたら、沢木辺りが自殺点のハットトリック位は軽く達成して優勝を阻みそうだからだ。
オレはこの頃から自分以外は信じない人間だった。いたしかたあるまい。
一方的に条件を話し終えたデカ帽オバハンは、捨て台詞を残し、やたら影の薄い男を引っ張って去っていった。
「じゃ、日向君。きっと勝ってね、絶対よ。香とのヤ・ク・ソ・ク。忘れちゃイヤよ!」
言いながら、目にゴミが入ったのか、片目をつぶった。
オレはものすごいジレンマに陥った。
試合中に感じていた、絡み付くような視線はあのオバハンの双眼鏡だったらしい。
影の薄そうな男も油断ならねえ。知らず、背中を冷や汗が伝った。
チームメイトと札束ビンタと、二つの危険を両天秤に掛けた状態で、オレは残りの試合を孤独に乗り切らなくてはならなくなった。
オレ一人の心にしまう積りだったが、まだ子供だったので、母ちゃんにだけは話してしまった。
すると、
「あっら、そりゃあ願っても無い好い話じゃないか、小次郎!頑張って優勝してスカウトしてもらうんだよ!!」
あっさりと進路を決められてしまった。
「兄ちゃん、スカウト、スカウト〜」
弟妹達まで無邪気に喜んでいる。泣けてきた。
取り敢えずチームメイトと吉良監督への口止めだけはして、オレは孤独な戦いの場へと戻って行った。
何かコトを起こす時には誰にも言わずに実行するオレ様のスタイルは、こうして出来上がった。ロンリーガイだ。
小6の春
待ちに待った、卒業式。
オレは卒業証書を受け取ると、下級生が列を作って待ち構えるサヨナラ通路を避けて、校庭を大回りして校門に向った。
もちろん、ドサクサに紛れて何をしてくるか分からないタケシを避けるためだ。最近タケシは俺の顔を見ると
「卒業卒業って、浮かれているけれど日向さんは一体何を卒業しようって言うんですか?!」
などと所構わず叫びだすので、もしやオレが明和東中に進まない事を勘付かれたかと内心ビクビクしっぱなしだったのだ。
だがそれも今日でオワリだ。母校にもなんの未練も無い。
そうさ、オレには昨日なんか無い・・・あるのは今日という未来だけなのさ。フッ。
「日向さん!卒業おめでとうー!!!」
競歩のスピードで歩き去るオレ様の背中に、喚声と共に抱きついてきたのは、沢木だった。
(オレが卒業ならお前も卒業だろうが) というツッコミは飲み込んで、オレは沢木をズルズル引き摺りながら歩き続けた。
校門まで、あと20M。コイツともこれきりだと思えば、無理に引き剥がす気も萎えるというものだ・・・
思えばオレは小学生にして既にたくましさを優しさのベールで包んだ真の男だった。
そう、沢木は(というかチームの誰も)知らないのだ。オレが今日限りで明和を離れ、東邦に特待生として迎えられる事を。
オレは一向に自分の足で歩こうとしない沢木を背負ったままひたすら校門との距離を縮めていった。
なにしろオレは気が急いていた。沢木なんかに構っている間に他の奴らにまで捕まったら厄介だからだ。
「キャプテン、今日で俺たち卒業だけど・・・」
耳にに口が当たる近さでしゃべりやがるからうるさいっつーか息が耳ん中に入ってキモイっつーかゴーゴーうるせえっつーか鳥肌立ったじゃねーか馬鹿野郎!!!
胸をまさぐる手の動きとあいまって、オレの堪忍袋の緒が不吉な亀裂音を立てていることには一向に気付かぬ様子で、沢木は熱くささやいた。
「俺は一生、アンタを卒業しないから・・・!」
なっ・・・
・・・・・んだと、コルァー!? 『しない』ってなんだ、『しない』って!
オレの意思は無視かよ、無視なのかよ、無視なんだな?! ああ、そうかよ、
「上等だコンチクショー!!」
気付いたらオレは沢木をコテンパンに伸して、走り去っていた。
これが後々明和で猛虎最強伝説の一つとして語り継がれることになる『卒業式お礼参り』の真相だ。
この通り現実が 12歳の決意〜束縛からの卒業〜 だったことを知る者はいない。
だが、それでいいのだ。凡人の羨望と嫉みを一身に浴び、プロサッカー選手というイメージ先行の虚構の世界に生きるオレには孤独な闘いが似合っているのだ。
『猛虎日向小次郎』に憧れる子供たちに今オレが言えることは一つしかない。
自分のケツは自分で守れ、と。
いや、もう一つあった。
ピンチをチャンスに変えろ!
沢木に絡みつかれた経験は後年、オレ様の独創的な≪鎖トレーニング法≫のヒントとなった。
どんな経験も決して無駄にはしない、それがオレ様の人生哲学だ。
小6の春
すでに小学校の教材に載っていてもおかしくない位に有名なエピソードだが、オレは家計を助けるため、幼くして働き始めた。
朝夕の新聞配達に、おでん屋台でのバイトのかけもちだ。
主に酒を供応する店なのに小学生を雇う倫理観の欠如は否めないが、おでん屋のオヤジさんはいい人だった。
余ったおでんをくれたり、オレの試合を観に来てくれたりもした。
たまに酔っ払った客に親子だと勘違いされると、オヤッさんは笑って否定したものだった。
そして、必ず
「こんな息子だったら欲しいけどね」
と付け足すのだった。
オレはもちろん、オヤッさんのような限りなく自由業に近い職に就く父親は御免蒙りたいと内心思いつつ、
「おっちゃん、そりゃ失礼だぜ〜 オヤッさんはオレの親父にしちゃ若すぎだぜ!」
と、調子を合わせた。たまには母ちゃんへの土産にビールを持って帰ってやりたかったからだ。
おべっかなんかじゃねえ、これもビジネスだ。
そんな有る日、またまた懲りない酔っ払いが
「よく働く息子じゃないか」
と言ったのだが、どういう訳かオヤッさんはヘラヘラ笑いながら『いや〜』
などとあいまいに濁すばかりでいつもの返事をしなかった。
そればかりか酒も呑んでないのに赤ら顔で俺の方をチラチラ見てくる。
コッ・・コイツ、母ちゃんを狙ってるのか?!
オレは焦った。完全ノーマークだったからだ。
普通子供というのは、自分の母親がオンナと言う生き物だとは意識しないものだからだ。
その夜、オヤッさんの一挙手一投足を警戒し観察していたオレは、
現実とは12歳の想像力が及ぶべくも無い展開を見せるものだということを思い知らされた。
「アニキって、呼んでもいいんだぞ・・・?」
重たいビールケースを抱えて身動きできないオレの尻を撫でる手が、
アニキってのは血縁関係のソレじゃないってことをシビアに教えていた。明和は変態のメッカなのかもしれない。
オレは朱に交われど純白を保つ自分を誇りに思った。
心無い人間が天邪鬼などと評するオレの大樹の陰に寄らぬ独立独歩の精神はこの頃には完成されていたと言っていいだろう。
いつもより多い日当を受け取ったその夜が最後のバイトとなった。
東邦へ行く事に決めたのは天啓だったのだ。オレは天国の父ちゃんに心の中で感謝し、新天地でのゼロからのスタートを誓ったのだった。
(小学生編・終了)
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