日向君のモテモテ日記 Hyuga harlem diary


日向小次郎・自伝「猛虎」より


若島津(再)




中一の春

卒業式を終えた俺は、善は急げと言う通り、翌日上京した。 変態に囲まれた暗い過去は明和に置き去りにし、新たな、今度こそ一片の曇りなきサッカー人生のスタートを切るべく、 意気揚々と東邦学園のグラウンドに立った俺は、信じられない、などという言葉ではとても追いつかない衝撃映像を目にすることになる。
なんと、若島津がいたのだ。
他のチームメイト同様、地元・明和東中に進学するはずの、若島津が。 俺が東邦学園のサッカー特待生になったことを知らないはずの、若島津が。 小5の夏、突然俺に告ってきたホモ疑惑の、若島津が。
俺が貴重な青春の10年間を過ごす予定の、東邦学園のサッカー部専用グラウンドに。 全寮制の、東邦学園のサッカー部専用グラウンドに。 過去の全てを捨ててきた、俺の一片の曇りなきサッカー人生のスタートに。
「・・・お前、ここで何してんだ」
「へへ・・・親父を説得すんのにちょっと手間取っちまったが、心配御無用・・!」
答えになっていない。他人の話を聞かないのは明和の風土病なのだろうか。
昼間に幽霊でも見たように、背筋がゾクゾクした。悪寒は尻を撫で回されているせいばかりではない。 なんで、若島津がココにいるんだ。なにより、何が目的で、ココにいるんだ。いや、聞きたくない。実際、聞かないから言うな、と言おうとした。 だが一瞬早く、空気の読めない若島津から最も聞きたくなかった説明を受けてしまった。 そう、どこから情報が洩れたのか、若島津は俺の後を追って、東邦学園に入学してきたのだ。 いっつも汚え格好してるからつい忘れてしまうが、そう言えば若島津の家は結構な金持ちなのだった。 俺が自分の体を張って得た入学を、ちょっと地団駄踏んだだけで手に入れる奴がいるなんて、なんて不公平なんだ。 自分の境遇を思って目頭が熱くなるのを感じた。いい機会だから読者諸君に教えておこう。 怒りや悔しさに流れる涙は決して、恥ずべきものではない。それは弱さから流れる涙ではないからだ。 顔を上げろ、胸を張れ。それは誇り高き涙なのだ・・・!

余談になるが、寮に無事着いたことを電話で報告した俺に、母ちゃんは明るい声で言った。
「そうそう、あれはいつだったっけねぇ。若島津くんが一緒ならあんたも寂しくないだろうから」
親心で若島津に俺の進学先を教えたと言うではないか。子の心親知らず。歯噛みする思いだ。親知らずだけに。 これぞ裏切りはまず身内から起こるものだと思い知らされた、聞くも涙語るも涙のエピソードだ。




「お、若島津。お待ちかねのカレシ到着、か」
「ウッス」
「なにィ?!」
東邦学園サッカー部のユニフォームを着た部員らしき男が親指を立てながら実に親しげに若島津に話しかけるのを見て、豪胆で鳴らしたこの俺も腰を抜かしかけた。 挨拶をするべきか迷っていると向こうから自己紹介してきた。やっぱりサッカー部の先輩だった。 なんだかニヤけた奴だな、と思ったが、これから全寮制という閉鎖空間に入るに当たって、無理に第一印象を悪くする必要もあるまい、と礼儀正しく挨拶を済ませた。
「なんにも心配要らないぜ、キャプテン」
遠ざかる先輩の背中を見送りながら若島津がなにやら自信有り気に囁いた言葉の意味と、先輩のニヤニヤ笑いの意味が解ったのは、寮に移ってからだった。
若島津の奴は俺より先に入学手続き及び入部・入寮手続きを済ませたばかりか、勝手に俺と同室になる算段を付けていたのだ。それだけじゃない。
「俺たちのこと、俺からみんなにちゃんと話してあるから」
だからなんにも心配要らないぜ、と少し照れ臭そうに繰り返し、俺の肩を抱く若島津に、目の前が真っ暗になった。 お先真っ暗、という言葉を体感した瞬間だ。何をちゃんと話したのか、恐ろしくて問い質せなかった。 俺の想像より酷い内容である可能性が高過ぎたからだ。

しばらくは廊下を歩けば「へえ・・・なかなか・・・じゃん」と意味不明な言葉が聞こえたり、すれ違いざまに下半身を触られたりする事が続いたため、 用事も無く自室からは出ないようにしていたら、それが仇となり今度は若島津が流したデマゴギーの裏付けにされてしまった。 コジコジという屈辱的な仇名を付けられたのもこの頃の事だ。サッカー雑誌が取材に来た際、誰かがその場の冗談で言ったのを掲載されてしまい、 女子中高生から主婦に至るまで、仇名が独り歩きする結果となったのだ。
そもそもあんな冗談を本気にして掲載した記者もたいがい阿呆だ、と俺が見下した東都スポーツの田島という記者には その後もずっと人権侵害も甚だしい、下らない記事で悩まされる事になるのだが、 この時俺はまだ東邦での一片の曇り無きはずのスタートの汚れっぷりからの回復に奔走していて、先のそんな苦労は知らずにいた。
名門サッカー部特待生としての過酷な自己鍛錬の日々はこうして始まったのだ。






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